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徳川家康と天ぷらの話
家康の死因は鯛の天ぷら!?
「家康は鯛の天ぷらを食べすぎて亡くなった」というのは本当でしょうか?
江戸幕府の公式史書「御実紀」のなかで、徳川家康(1542年~1616年)に関する記録が書かれた「東照宮御実紀」。それによると、徳川家康が鯛の天ぷらを食べたのは鷹狩りに出かけた先でのこと。懇意にしていた京の豪商・茶屋四郎次郎に「近ごろ京で話題の話」を尋ねたところ「鯛を榧(かや)の油で揚げ、その上に薤(にら)をすりかけて食べるのが美味いと評判」と聞きました。さっそく鯛の天ぷらを作らせた家康は、あまりの美味しさに日ごろの節制を忘れ、大鯛2枚、甘鯛3枚を食したそうです。
ちなみに、この鯛の天ぷらを揚げた油は2つの説があり、「東照宮御実紀」には「榧油」、「元和年録」には「ごま油」と書かれています。
その夜、体調を崩したことから「鯛の天ぷらの食べ過ぎが原因」という説が有名ですが、家康がこの世を去ったのはそれから約3ヶ月後。その事実から近年では鯛の天ぷらを直接的な死因とする研究者は皆無で、病状の経過から今では「もともと患っていた胃がん」という説が最も有力とされています。